Road to Athene 「史上最強のクロール理論」

Vol. 2 3つのフレーズ

世界で戦う『新しいクロール』のために、以下の3つのフレーズを用意した。それは、「体幹を捻らない」、「水面を滑る」、「筋の収縮能力と腱の反発力」の3つである。
この3つのフレーズはどれも「世界最強」を目指すためには、ぜひ頭の中に入れておきたい大事な「技術」である。今回はこの3つのフレーズを中心に解説してみよう。
 ここで、ひとつ断っておきたい事柄がある。これからこの項で述べていくクロールの技術は、これまで他の人によって述べられてきた種々の技術論を否定するものではなく、私たち水泳関係者が自由形という種目で世界と戦っていくための、いわば「習熟過程の最上位」に位置するひとつの「考え」である。したがって、「これまではこう言われてきた」という表現が、文章上あったとしても、それはその理論を否定するものではなく、さらにそこから速く泳ぐためにはどうしたら良いかについての「発展的な考え」であることを、充分にご理解いただきたい。
 また、それらの「考え」には、大学での研究中のデータから解説者としての取材過程で得たもの、また、指導者として感覚的に捕らえられたものまでが混在する。すなわち、私が現在指導するフィールド(大学水泳部、大学での授業、マスターズ練習会、ジュニアの練習会、解説者としてなど)で得られた示唆やアイデアも入ってくることから、本連載中に、自らバックナンバーを否定するような内容も入ってくる恐れがあることも、無責任と思われることを承知の上で付け加えておく。多少の矛盾には寛大におつきあいいただき、私の現役時代や指導現場での「経験談」を、いわば「ライブ」で感じながらお読みいただければ誠に幸いである。

さて、世界で戦う『新しいクロール』のための3つのフレーズに戻ろう。

「体幹を捻らない」

 まず、これまでクロールにおける体幹の捻り動作、いわゆる「ローリング」は、ストロークの中のスムーズな腕の運びや、キックの蹴り下ろし動作後の腰を上げる動き(ヒップアップ)に関連し、重要だと言われ、至るところで「体幹の捻り」や「骨盤の傾き(ヒップロール)」という表現が使われてきた。ローリングの重要性については、これまでさまざまな教則本などで述べられているが、過剰なローリングには負の効果が生じることは、あまり述べられていない。
 このことをキーワードに、ストローク動作での身体の使い方や、キックの打ち方まで、さまざまな変化が出てくるので、まずこのことは覚えておこう。

「水面を滑る」

 次に、クロールそのものの言葉の源である「這う」動作。すなわち、サーフィンのパドリングをイメージしていただくと容易かと思われる。海に行くと、サーフボードにうつ伏せになり、手をボードの脇に出して水をかいて沖の方に出て行くサーファーを見かける。腕の使い方は別としても、水面に乗っていく感覚は参考になる。
 以前、オーストラリアのラウリー・ローレンスという、世界記録保持者や五輪金メダリストなどを多数育てたコーチ(記憶に新しいのは、ソウル五輪200m自由形で、並居る強豪をラスト50mでごぼう抜きしたダンカン・アームストロング選手を育成)の元に指導を仰ぎに行ったときに、トレーニングの一環として海で行わされたのが「ボディーサーフィン」であった。そこでは、毎日2回のプールでの練習に加えて、早朝の砂浜ランニング、チューブ引きと、仕上げに行われるボディーサーフィンが日課であった。
 当時は、きつい練習の合間のレクリエーションの一環かと思っていたが、実はそれから8年後に私が現役を引退する頃に、このトレーニングがとてつもなく重要な意味を持つものだということに気づかされ、今に至っている。
 陸上での運動と異なり、競泳やスピードスケートなどは、水面や氷上を「滑る」という慣性モーメントが働く。時にそれは、体格差を乗り越えるための大きな武器となる。
 バタフライや平泳ぎのような、水中でのグライド姿勢(身体をまっすぐに伸ばす姿勢)が技術特性上、必然的に入る種目は、水面上から水中に入った時に生じる重力加速が、体格差を乗り越える武器となる。例えば北島康介選手のキックの推進力と、その後の水中でのグライド姿勢(ストリームライン)は、世界のコーチ陣からも絶賛される技術である。
 バタフライでは、中西悠子選手(近畿大職員・枚方SC)のように、クロール同様水面を這って行くような感じの、見た目「あめんぼ」のような軽い感じの泳ぎで、1ストロークでの仕事量を少なく抑え、スタミナ勝負していくような泳ぎで戦っている選手もいるが、柴田隆一選手(日本大:現在日本ランキング3位)のように強いキックを利して、水中でのグライドを生かしストロークの大きさを保つ選手もいる。
 クロールや背泳ぎでは、ルール上水中でグライドを作る時間は、スタート後とターン後くらいなもので、他の種目と異なり比較的少ない。従って身体をできるだけ沈ませないようにすることで、前面から身体が受ける水抵抗を減少させ、いかに推進力を得るかが大きな鍵となる。しかし、体脂肪率が高い我々と異なり、グッドシェイプされた水に浮きにくい体型を持つ競泳競技者が、なぜ水面上に身体を浮かせて水面を這うように泳げるのか不思議に思われるかと思うが、これらは今後説明していきたい。

そして、次に用意するのがこのフレーズである。
「筋の収縮能力と腱の反発力」。

 これまで、競泳選手の柔軟性についての重要性は、広く語られていたが、現場で指導していると「身体がひじょうに柔らかい選手=スプリント力がない」という現象に気がつく。
 一時日本大学でトレーニングを行っていた、衣笠竜也選手(元日本記録保持者、バルセロナ・アトランタ五輪個人メドレー日本代表)を指導していたときに、その柔軟性に大層驚かされた。しかし、いざスプリントトレーニングを行うと、学生選手権に出られるか出られないかの選手たちに、ころっと負けるシーンが見られる。100メートルや200メートルなどの距離を反復するインターバルトレーニングでは、滅法強いところを見せるが、15メートルや25メートル、スタートからの50メートルスプリントなどのトレーニングでは、「あれっ?」というシーンが多く見られたのだ。
 他にも似たような例が現場では多く見られる。筋が柔らかいというのは、指導経験上非常に重要な要素で、とくにきつい練習を多く繰り返せるのは、このタイプ……すなわち柔らかい筋を持つ選手である。逆に硬くなりやすい選手は、きついトレーニングの反復が難しくなるが、うまく育てられないかというとそうではない。先にも例に上がった北島選手は、他の一流選手と比較して固くなりやすいと言う話を、昨年の日本体育学会・体育方法シンポジウムの席上で、小沢邦彦トレーナーが語っていた。そういった筋の特性を認めながら、身体のケアを怠らなかった彼と彼のサポートスタッフは、世界記録樹立や、五輪の優勝候補となって戦うに至っているのである。
 泳ぎを作っていくうえで、「身体の仕組みを作る」ことはひじょうに重要である。そしてこれからのクロールで速く泳ぐためには、筋を伸ばしすぎない状態で力を発揮することが課題となり、そのためには腱の反発力を使うことが鍵となる。これもまた、連載中に詳しく説明していきたい。

 さて、現在のクロールの、世界的な風潮としては、プル動作(いわゆる水の中で手をかく動作)での手の軌跡が「ストレートプル」といわれる、いわゆる身体の中心線を手のひらが真っ直ぐ通過していくようなパターンが主流である事以外には、意外と世界各国で共通する特徴的な技術革新がない。そしてトップレベルの選手達は、例えば自由形で世界記録を度々樹立しているイアン・ソープ選手のように、抜群に大きなサイズの足を持つ、ある種特殊な体型を有していることは事実だし、その他の自由形のトップスイマーにしても、大概は身長2m前後、脚のサイズは30センチ前後という、並外れた体型を利したストロークを持つ選手達ばかりだ。
 実際にそのような選手達と戦っている選手達の中には、こんな現実と遭遇した選手もいる。日本でただ一人と言っていいだろう、個人メドレーとはいえイアン・ソープ選手に勝った(2003年バルセロナ世界選手権、準決勝で森3着、ソープ4着で決勝に進んだ)ことのある男、森隆弘選手(ミキハウス)は、2003年バルセロナ世界選手権200m個人メドレー準決勝で、ソープ選手の追い上げを食らった時のことを、こう語る。
 「150までで結構離したんで、『これなら大丈夫だろう』と思ってたのに、最後の25mを越えたあたりから、今までに聞いたことのない、『ドドドドーッ』てスゴイ水の音が聞こえてきた。『えっ?』って思ったとたん、ソープがすぐ横に近づいてて・・・本当に焦りました。初めてです、泳いでてあんな音聞いたの」
 体格・パーツの大きさの差・・・日本の自由形陣は、本当に大きな壁と立ち向かわなければならないのである。では何をもって、日本の自由形は戦っていくべきだろうか?
 古くから日本人の特性といわれる「繊細さ」は、泳ぎやトレーニング方法を構築していく上で生かせないのであろうか? いや、すでにクロール以外の種目では、立派に世界と肩を並べていると言っても良いだろう。やはり日本のトップスイマーの泳ぎの作り方は、外国選手のそれに比べると非常に繊細で、且つ人間本来の持つ身体の動きの特性を有効に利用したものであったり、逆に本来身体の中にインプットされている動きを崩して、水の中での有効な動きに改良したり、体格差があるゆえの、それを克服するための努力が随所に見られる。
 例えば北島康介選手の平泳ぎの上半身の動き、特に腕のリカバリー(前方への戻し動作)などを見ると、頭が比較的高く残っている時に、腕はすでに前に出されているのがハッキリ分かる。海外の選手、世界記録を樹立したB・ハンセン選手の泳ぎなどを見ると、腕の戻しと同時に頭を前へ突っ込んでいく。いわゆるバタフライの腕のリカバリー(前へ戻す動作)のような感じで、平泳ぎを泳ぐ選手が多い。しかし北島選手は逆に腕を先に前へ出し、前面から受ける水抵抗の少ない姿勢を作った後で、強靭なキックが生み出す推進力と共に、頭を前へ出し更に加速を高めたものである。この技術はもともと林亨選手が低抵抗の泳ぎを作り出す時に取り入れたテクニックであるが、昨年北島選手が世界記録を樹立したあたりから、アメリカでも注目され始めたテクニックの一つである。アメリカでスポーツの動作映像解析ソフトを作成している「Durt Fish」という会社で作られたソフトのオプション映像として、彼の泳ぎやスタートの映像が組み込まれていることからも、その注目度の高さが伺える。
 一方で、記録的にはまだ北島選手に及ばないものの、やはり平泳ぎで今回の五輪代表に入った今村元気選手(東海大研究生)の場合は、キック動作にその「上手さの隠し味」が存在する。彼のキックは、多くの外国選手や日本人の選手が行うような「蹴り始めから強く蹴る」動作ではない。加藤健志コーチによると、「キック動作の蹴り始めでは水を壊さないように蹴るスピードを調節し、フィニッシュ(蹴り終り)に移行するに従い、蹴る強さを徐々に強くしていく」ことで、いわゆる蹴り始めの初期に生じる「空蹴り」の部分を最小にさせ、1キックで進む距離をアップすることで、体型のハンデを乗り越えようとしたものである。そのために非常に細かなドリルワークを行い、何年も時間をかけてその技術を洗練させているのである。

 ではクロールではどのような工夫が必要なのだろうか?
 ストローク局面での加速度については、長年に渡り世界のトップスイマーの泳法分析する河合正治氏(日本水泳連盟競泳委員)は、以前このように述べていた。
「短距離の選手は、キャッチ部分での身体の移動速度が比較的高い。反対に長距離の選手では、フィニッシュで生産されている速度がやはり高い。しかし、グラント・ハケット選手(オーストラリア)やホーヘンバンド選手(オランダ)らは、キャッチ、フィニッシュ両方で速度が高くなる」。
「ストローク後半への加速」というのは、腕の入水後は水を壊さないようにゆっくりかき始め、抜き上げ(フィニッシュ)に向けて徐々に加速していくというものである。これにより、
1)ストローク前半で力んで水を壊すことによる泳ぎの効率低下を防ぐ
2)抜き上げたあと身体(体幹)をやや斜めにすることで、前面から受ける水抵抗を減らし、腕で水を押したときに生じる推進力を最大限に生かす
 ということが可能となる。ただし、この場合、腕の後方への「押し」が入っている時に、キック動作も入ることから、一概に腕で水を押した力だけが推進力に関わっているわけではないことも理解しておく必要がある。
 一方で「キャッチ部分での加速」というのは、入水後の腕が水中に下がってきた時に生じるものであるが、多くは反対側の腕のフィニッシュ動作が終了したときと重なることがあるので、一概にキャッチ動作だけの加速とは言い切れないところがあることも知っておきたい。
 しかし、この「1ストロークで2段階の加速を得る」という考え方をもとにして、トレーニングに取り入れた原英晃選手(ミキハウス)は、今年の日本選手権の100m自由形で自己ベストを更新し、自由形種目で、30歳で表彰台に上がる(3位)という好成績を得る事に成功した。そのトレーニングの方法などについては、先月発売されたDVDで画像つきで触れてあるが、本連載でも詳しく紹介する事になるであろう。
 では、一方で海外の選手のテクニックは、現状でどのようになっているのか? 全米の五輪代表選考会の視察を終えて、日本代表チームの合宿地であるアリゾナ州フラッグスタッフに合流した上野広治ヘッドコーチは、自由形種目で上位に入った選手の技術について、次のように語っていた。
 「6月にあったヨーロッパ(グランプリサーキット)と今回の全米を見ると、特にクロールでは、巷で言われている、いわゆる『ストローク前半の、キャッチ時から加速させる』というより、結構以前から行われているような、『ストローク後半の加速』を重視したテクニックで泳ぐ選手が多いように見られる。
 たとえば400メートルで、アメリカ新記録で勝ったクリート・ケラー選手や、100で勝ったジェイソン・リーザック選手とかのクロールって、日本でも結構昔からあったような泳ぎに見えた。多分指導者達が、ベテラン勢が多いことがその要因じゃないかと思う。
 ヨーロッパに合宿に行くと、時々ドイツチームと一緒になるけど、ファン・アルムジック選手(女子200メートル自由形世界記録保持者)なんかは3回練習(1日)の2回目の練習が、ほとんどドリルばっかりで、しかもやっていることといえば、片手スイムとかのオーソドックスなものばかりなんだよね。コーチも何に注意しているかを見ると、『ストロークの加速』くらいなんだよ」
 今回のオリンピックでは、それらのトップスイマー達が最高の状態を作り出し、恐らく見事な競演を我々に見せるであろう。男子自由形では、ソープ選手に立ち向かうホーヘンバンド選手、「皇帝」A・ポポフ選手(ロシア)、200,400mに出場予定のマイケル・フェルプス選手(アメリカ)、長距離では王者グラント・ハケット選手にアメリカの伸び盛り、ラーセン・ジャンセン選手が立ち向かう。日本人でそれらの選手にチャレンジするのは、奥村幸大選手(近畿大・イトマンSS)、松田丈志選手(中京大・東海SC)である。
 私も支援スタッフとして、さらには解説者として事前合宿からチームに同行しているわけだが、今回の五輪では、日本の自由形の選手達が戦っていく上で、一般的に言われているような「何が劣っているのか?」という視点ではなく、逆に「現時点で日本選手たちの何が通用しているのか?」を観察し、今後の技術の方向性見極めたいと考えている。例えばソープ選手のキックが強いといっても、奥村選手の方が膝関節と足首の使い方は上手いと考えているし、グラント・ハケット選手のストロークと比べ、松田選手の方が肩甲骨の使い方は上手いのではないか?と、彼の練習を間近で見ているとそう感じるのである。事実、松田選手は、トレーニング中とはいえハケット選手に勝った事がある選手なのである。
 本連載を読んでてからテレビをご覧になる方々も、野球観戦でよく視聴者が「監督状態」になるようなつもりで、是非とも選手達の身体の細かな動きもチェックしていただきたい。
 きっと興味深い知見が得られるであろう。■
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