Vol.299
スポーツ振興について〜「遠藤レポート」を読んで〜

2007.09.22
 先月、文科省の遠藤元副大臣が、スポーツ振興座談会の席上で「スポーツ立国ニッポン」を目指す秘策として、スポーツ省(または庁)の設立と予算8000億円を目指した予算立てをする案があることが、「遠藤レポート」として公にされました。
(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/78529/ 参照)       
 「スポーツ省?」と言う感じでしょうね。しかし、法のもとにスポーツを振興しようとした「スポーツ振興法」も制定されてから約50年も経ちます。それは何度も改訂されているのですが、既に現在の世の中に通じなくなっている部分も多々あるということで、新たなルールづくりをせねば・・・ということなのでしょう。でも、これを立ち上げるのは、果たして現在の「文科省から」ということになるのでしょうか? それとも全く別のところから発生するのでしょうか?

 その座談会での資料が手元にあります。文科省では、今後「国家戦略」としてスポーツの振興を掲げていく方向性らしいのですが、その狙いとしては、先進国の割にメダル獲得数が少ないことを嘆くことから始まり、国威発揚と国際交流、健康維持・増進、選手強化の国際比較という、あまり以前の「スポーツ振興法」から脱していないような印象も受けます。
 G8に韓国を加えた9カ国中、日本の五輪メダル獲得数が最も少ないというのは確かに嘆くべき問題なのかもしれません。しかし、それが先進国としての国力の「強いー弱い」を、どの程度反映しているかといえば、直接的な繋がりは薄いような気がします。現場的には「強化には金がかかる」のは当然で、先進国ほど勝つチャンスはつくりやすいのでしょう。
 事実、韓国などでは、強化費の分配に関して「重点種目」を置き、強化費の配分を故意に特定の種目に偏らせた結果、巨額の強化費が投じられた種目では、きちんとメダルを獲得するという結果をだしたことは既に明らかにされています。
 現在の日本で、そのお金を生み出す国の経済を引っ張っている方々の中には、元五輪メダリストはそう多くいません。むしろ、スポーツからかけ離れた世界で頑張ってきた「受験組」の方が多く、そういった方々が省庁の中や、財界のトップどころで働かれているわけです。
ですから、「そんなものに8000億ものお金をかけるなんて」という批判が起こるのは、ごくごく当然のことと言えるのです(笑)。

 しかし、よくよく調べてみると、例えば「芸術」と「スポーツ」を比較した場合、「芸術」には「文化芸術振興基本法」という法令があり、国の債務義務(予算をかける義務)が明記されているのですが、「スポーツ振興法」に国の債務義務は明記されていません。また、指導者養成の観点から見ても、「芸術」では海外研修のために年間6億8100万円の予算のもとに161人もの人材を派遣できる状況であるのに対し、スポーツでは、JOCの「在外派遣制度」のもとに、派遣できるのは年間二人(!)。しかも費用は、国からの補助はゼロで、JOCが持ち出しで運営しているのが現状です。ちなみに、この制度で1年間の在外研修を行った水泳関係の指導者は、高橋繁浩先生、緒方茂生さん、鈴木大地先生、岩崎恭子さん、そして現在稲田法子さんらが派遣されています。競泳は比較的多くの人材がこの制度を利用しているわけですね。ということは、他の競技ではそれほどの利用はされていないということでもあります。
 その遠藤レポートでは、選手発掘・育成のシステム構築についてや、ナショナルトレセンの話し、スポーツマンのキャリアサポートの話し、一流アスリートの身分保障制度などもでてきます。でも、確かにそれも大事なことなのですけど、このレポートに記されていないことでもっと大事なことがあるのではないか?と私は思います。
費用の財源はあくまでも「税金」なのですから、国民の大半が納得できる運用方法であるべきでしょうけど、国民の大半が納得できるくらいのスポーツに関する知識や関心を与えることが、費用の使い道を考えるより先に必要なことだと思うのです。

 そういった観点から考えると、私自身は、それらのことよりも「スポーツ教育」の研究にもっとお金をかけ、幼児教育や初等、中等、高等教育での「スポーツ教育の意義」をもっと明確に表し、それをもとにしたプログラム開発にお金をかけるべきだと思います。
日本よりも教育に関する研究の歴史が深いイギリスでは、中・高等教育でラグビーを積極的に取り入れ、人格形成や社会性の向上に役立てました。また、古代ローマにまで遡ると、体操やレスリングは、どんな数学者や哲学者、美術家、芸術家でも必ず行うスポーツ種目でした。近年の研究では、小学校体育でタグ・ラグビーを実験的に導入し、ボール扱いの苦手な子供でも、ゲームに参加でき、コミュニケーション能力を高めることに貢献したということを聞きました。いじめや人格障害などの症例がなくなることのない子供社会の中に、まずスポーツはどんな教育的価値を持てるのか? そこでスポーツに対する理解度を高めるきっかけづくりができるのかどうか? を見極めながら、スポーツの導入年代と導入方法、そして最終的には導入〜熟成に向けての効果的なスポーツ教育プログラムをつくりながら、競技者育成などスポーツの普及との「挟み撃ち」によって、スポーツの存在価値を高めることが、スポーツへの投資を許す地盤づくりに繋がるのではないかと考えるのです。

 それと、田舎出身の現場のいち指導者としての意見を言わせていただくと(笑)、折角の国民の皆様(というか、私も含めて)の血税を用いるのであれば、チャンピオンシップにダイレクトに関わるようなところでいきなり8000億もの予算を使用するのではなく、できれば、各地域の競技場や地域競技会の、向こう20年くらいの運営費や、指導者、施設管理者の人件費などに充ててもらいたいと思います。トップの予算はJOCだとか、各競技団体できちんとマーケティングをすることで賄えると思います。しかし、競技普及で最もネックとなる競技場の維持費は、現在地方公共団体でも大きな予算上のネックとなっているのです。逆に言えば、それを賄いさえすれば、競技だけでなく健康維持のためのスポーツを楽しみたい人に対して、いつでも門戸を広げて待つことができるのです。

 国という大きな規模での事業ですから、お金の使い道はいろんな角度から検討して、ただ4年に一度五輪のたびに騒ぐだけの、外見上のスポーツ立国ではなく、多くの国民がスポーツに対して正しい認識と、好意的な立場に立てるような教育を経て、真のスポーツ立国になれるような制度への長期的な方策の検討を、期待したいものです。■
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